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生誕10000日 | えいのごきげんぶろぐ

生誕10000日

9999日お疲れ様でした。

27歳と4ヶ月ちょっと。

この世に誕生して10000日が経った。長いのか短いのか分からないけれど、年数にして27歳と4ヶ月ちょっと。80歳まで生きるとして、人生の3分の1が終了した。もう3分の1終わってしまったのか、と思ったけれど、まだあと3分の2が残っていると考えよう。どんな人生になるのだろうか。

桁が上がる人生最後の日

10000日をお祝いすることは世間一般的にメジャーなことではないと思う。私の周りでも祝っている人をあまりみたことがない。10000日と言う概念があることを知ったのは、大学生ぐらいの頃だっただろうか。まだXがTwitterだった頃に、タイムラインに生誕10000日は桁が上がる最後の日だという雑学のような、豆知識のようなつぶやきが流れていた。それを見て、”最後”と言うワードに弱い私は、私が10000日を迎える日には必ずお祝いをしようと思ったのである。100日も、1000日も、記憶のないうちにすぎてしまうし、100000日生きるには、274年生きなければならないから。

10000日の過ごし方

10000日だからといって特別何かをしたわけではない。強いて言うなら、新しいことでも始めようと思って、立体刺繍をやってみた。あとは9999日の日に、ずっと欲しかったオーダーメイドの枕を、旦那に買ってもらった。9999日おつかれさまの気持ちを込めて、そしてこれからの人生がより良いものになるようにと願って、少々お高いものをおねだりしたり、自分にプレゼントしたりすることは、私にとってとても尊いことである。

10000日生きてみて思うこと

誕生日や年末年始、記念日といった節目節目には必ず振り返り、新しい目標を立てるようにしているのだが、今回は10000日生きて衝撃だったこと第3位までと、10000日までの人生の分岐点を振り返った。(長くなるので割愛するが、衝撃だったことの第3位はパンダが肉食動物であることがランクインした。)こうして振り返ってみて思ったことが2つある。

人生の分岐点は”始まり”である

1つは、人生の分岐点になりうるのは、何かの終わりではなく、始まりであると言うこと。一度人生の分岐点を振りかえってもらいたい。その分岐点は必ず何かの始まりではないだろうか。終わりは、いつだって私たちの意思とは関係なく突然やってくる。時は必ず来るのだ。けれど、始まりは違う。時が来たからといって、勝手に始まるわけではない。私たちは必ず始まりに向かって準備をしている。そう考えると分岐点の度に下した私の選択が、私の人生を作ってきたのだということが分かった。

私だけの生き方

もう一つ思ったことは、その分岐点で、別の選択肢を選んだとしても、私は似たような人生を送っていただろうと言うことだ。つまり、私は今の人生を好き好んで生きていると言うことが分かったのである。容姿がもっと優れていたら、環境に恵まれていたら、人と比べては、いろんなたらればに苛まれた時もあったけれど、きっと私は、容姿が優れていても、環境に恵まれていても、同じような生き方を選んでいたに違いないと思うのだ。これが、私の性質であり、愛すべき個性なのだと、ふと思ったのである。

我ながらいい振り返りができたような気がする。生まれて9999日目までは思いつかなかったり、なんとなくピンと来ていなかった考えが、10000日目には納得できるようになることがある。日々変化しているのだ。

10000日以降を生きる

さて、20000日になる頃には、54歳である。いい節目だと思うので、20000日に向けて目標を立ててみた。目標は3つ出来た。誕生日や新年に立てる目標とはまた違った視点だ。

  1. ポジティブに切り替える
  2. 焦らずに、ゆっくりと
  3. たくさん失敗しにいく

1.ポジティブに切り替える

ポジティブでありたいとは思っているけれど、気がつくとネガティブな考えが出てくるし、疲れていたら落ち込みやすくなったり、なんてないことが嫌になることがある。負の感情が内側にやってきたら、パチンと手を叩くなり、息を強く吐き出すなりして、ポジティブな思考に変えるのだ。ずっとポジティブな思考ができたり、ポジティブな気持ちでいられたらいいけど、案外難しいし、私はマイナスな感情に敏感な方だ。お天気が悪い時でさえ、「靴濡れるの嫌だな」って思ってしまう。だから、「雨の音って気持ちいいな」とか、「せっかくだしあったかいお茶を入れちゃおう」とか、ポジティブに変換する。脳の癖を変えていく。そしたらの1つのネガティブからたくさんのポジティブが生まれる。自分の気づきを、いいものにしていけば、もっとごきげんな自分でいられる気がする。

2.焦らずに、ゆっくりと

先日の日記にも書いたように、私は10000日の間、人と比べては焦って生きてきた。人生は短いのだから、三年もじっとしていられないと思っていた。けれど、案外、人生は長い。ゆっくり楽しいめばいいのだ。楽しんでいれば焦らずともあっという間に時間は流れていく。楽しむためには、焦らないこと。せっかちにならないこと。ゆっくり、気持ちに余裕を持つこと。じわじわと、ゆっくり。むしろゆっくりやるために、やる。これはこれからの私の生き方である。

3.たくさん失敗しにいく

これは私の偏見かもしれないけれど、27歳をすぎたあたりから、人は保守的になる。結婚したり、子供ができたり、社会的地位を得たり、貯金が増えたり。大切なものができると人は保守的になるらしい。最近読んだ小説にも子供ができて保守的になってしまった友人を持つ女性が登場して、妙に納得してしまったのは、私含め、周りもそうなってきているからかもしれない。歳を取れば取るほど、保守的になる。失敗することを恐れる。失うことを恐れる。けれど、私は、27歳〜54歳の大人としてちゃんとしなければいけない時に、恥を捨ててたくさん失敗したいと思う。いっぱい失敗する。それはたくさん挑戦するということでもある。ただ、これは成功を目標とした挑戦ではなくて、失敗することを目標とした挑戦だ。笑えるくらいの失敗ができる、小さい挑戦をたくさんしようと思う。例えば、洋裁を初めて、縫い目がガタガタのお洋服が出来ちゃったり。新しいブランドのお洋服を買ってみて、全然似合わなかったり。美味しそうなレシピを見つけて作ったら、全然美味しくなかったり。ダンスを始めたら、下手くそだったり。失敗するって、案外楽しいことなのかもしれない。

調べてみよう

まだ27歳と4ヶ月経ってない人は、ぜひ10000日を楽しんで欲しいし、できれば少し特別な日にしたらいいと思う。9999日もゾロ目なので、二日かけて旅行に行くのもいいかもしれない。(旦那の10000日は旅行にした)過ぎてしまった人は、11111日もあるし、12345日もあるし、15000日も、20000日も、22222日もある。自分が今日産まれて何日目なのか一度調べてみるのも面白い。「一生は良くて3万日」。30000日まで生きてみたいものである。

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